chiha memo

漫画「ちはやふる」の伏線や感想などの超個人的備忘録

第191首 絶対絶命を愛せよ

太一母が夫(太一父)との出会いを回想する。入り婿で、旧姓後藤から来る仇名のオリゴ糖のように優しいタイプ、優秀な外科医、学生時代に風紀委員同士だった、など。

「子供に1位を目指させるのは 私の方針なの 鶏口牛後って言うでしょう 1位になれない世界でがんばるなんて愚かだもの」

勝戦、太一対原田先生。原田は読みが冴え、順調に取って行く。翠北会の北野先生は腕組みしながら見守る。

あいつのすごいところは 組み立てだ この札が出たらいいなという構成がハマる
ふと目についた組み立てになかった札 それが取れたとき それが原田のかるた力の真骨頂だ

 対する太一は感服しながら、周防の言葉を思い浮かべていた。

すごいよね テンション上がるよね

次の札は太一が取り、札を拾いながら千早を見る。千早は20-19、太一の方は21-19。そんな太一を原田は観察。

ずいぶんかるたが客観的になった 周防くんの影響か 戦う自分のほかに 観ている自分がいるんだろう

原田が幼馴染の栗山に誘われてかるたを始めたのは、太一と同じく12歳の頃。ある時、耳が聞こえない男子と居合わせた。彼は読手の口元をずっと見ていなくてはならないので、札の暗記をしっかり出来ない。原田は彼の隣に寄り添い、読手が読み始める時に肩を叩いて合図することで助けた。

あれが かるたをしててうれしかった 誇らしかった最初の大会

太一は原田の攻めを交わして守り、良い勝負をしている。

原田先生は強い 強くあってほしい でも

原田は札の取り方をイメージし、読みも当たっているが、太一に「ふ」を攫われる。最盛期のように身体はもう動かない。

だけどな ギャップがあるから楽しいんだろう? 聴こえること 聴こえないこと ギャップを飛び越えたい 越えに行く者の 肩をポンと叩きたい

四枚差で勝利し、挨拶で頭を下げたまま涙を浮かべる太一。その肩を原田が叩き、顔を上げさせる。

「苦しかったな 絶体絶命がたくさんあったな 絶対絶命を愛せよ まつげくん これから先 ずっとだ」

直後、太一の真後ろで大きな音がして振り向くと、千早が白目で引っ繰り返っていた。すぐに正気に戻った千早の目に入ったのは、太一がパーカーの襟元から覗かせる瑞沢Tシャツ。


太一母は大江呉服店にて、大江母と語らっていたのだった。太一から電話が来て、母はその場で袴を注文。


東日本予選の結果、太一と千早が挑戦者決定戦への推挙状を受け取る。

「おれにも袴作ってくれるって」

受領式中の拍手に紛れ、太一は千早に報告。微笑む千早。


須藤は不機嫌に北央後輩勢に言う。

「てめーらさあ あいつに言うよな? どっかの大会で 『おれが勝ったら須藤様が辞めるって賭けは反故だ!』って 『でも』 『もう一個のほうは生きてるぞ』って」

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東日本予選決勝戦。太一と原田の師弟対決がみっちり描写されると思っていたら、実力や戦術よりも身体機能の問題だったので、この回だけであっさり終了。連戦ではなく一試合きりならば違った結果が出た可能性もありそう。

千早と田丸の試合描写に至っては皆無。男子と同時に終わっているようなので、田丸相手にしては苦戦と言える。束勝ちを期待していたのに。ただ、千早もまた高校予選の第29巻第149首のように、仲間にペースを合わせられなくもない? 一緒に戦った後の同じ瑞沢Tシャツ判明なら感動もひとしおだね。

回想の中で、太一父初登場。十歳くらい年上でダンディーな外見を勝手に予想していたら、同い年でとっつぁん坊や風。しかも医者家系は母側で、父は婿養子という新情報。母は自身が家業を継いでいない後ろめたさから、太一を厳しく教育しているのかな。そのくせ、妹は私立小っぽいのに、期待を掛けた太一は公立小なのは疑問。あの母親にはまだ謎がある。例えば、風紀委員だったのに太一が出来ちゃって進学断念、とかw

「鶏口牛後」の意味は、「大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ」。中学生編終盤で触れられるが、これは太一が何故瑞沢に進学したのかにも繋がっている。

原田と栗山先生も幼馴染。周りの子が方言を話しており、栗山の地元ならば福井となるが、原田は台詞の少なさと目上の人に標準語で話しているせいで福井人っぽさが薄い。原田が転勤族の子供か、他地域から大人になって散り散りになったのか。もし原田が福井出身ならば、新に「同郷だね」の一言くらいはあっただろうし。

試合で読まれたのは「あけぬれば」「あいみての」「いにしえの」「ふくからに」。